Yamaguchi Navigator[やまぐちナビゲーター]

山口市にゆかりのある方々のイチオシを紹介する「Yamaguchi Navigator」。アート的視点を交えながら、お気に入りのスポットや行きつけのお店など、地域の隠れた魅力を思い入れたっぷりに語ります。これを見れば、お決まりの観光とは一味違った旅の楽しみ方ができること間違いなし!ぜひ山口市を訪れるときの参考にしてみてください。

Navigator 01 松村 邦洋さん(タレント)

偉人の足跡を辿れば
旅はもっと面白くなる!!

歴史好き、大河フリークとしても知られる
タレントの松村邦洋さんに、
子どもの頃の思い出や山口市のおすすめ
歴史スポットなどについてお聞きしました。

画像:ナビゲーター近影
松村 邦洋(まつむら・くにひろ)
タレント。1967年、山口県熊毛郡田布施町生まれ。大学在学中、アルバイト先のテレビ局で片岡鶴太郎に認められて芸能界入り。ビートたけしをはじめとするものまねで一躍人気を博す。バラエティーやテレビドラマ、ラジオ、YouTubeなどで活躍中。芸能界きっての歴史好きとしても知られる。山口ふるさと大使、たぶせふるさと応援大使。

大河ドラマにハマった幼少期

子どもの頃、日曜日の夜は家族揃ってNHKのテレビ番組を観るのがお決まりでした。『お笑いオンステージ』や『減点パパ』『ビッグショー』などのバラエティー番組、歴史好きだった祖父の影響を受けて『風と雲と虹と』や『草燃える』などの大河ドラマをよく観ていました。なかでも印象に残っているのは、大村益次郎の生涯を描いた『花神(かしん)』です。総集編のビデオテープは、擦り切れるぐらい何度も繰り返し観ましたね。

古墳や史跡で知る地元の歴史

私が生まれ育った山口県南東部の田布施町(たぶせちょう)は、岸信介(きし のぶすけ)・佐藤栄作(さとう えいさく)の兄弟首相をはじめ、松下村塾(しょうかそんじゅく)で講師を務めた富永有隣(とみなが ゆうりん)や小説家の国木田独歩(くにきだ どっぽ)などが住んでいた場所です。また、後井古墳(ごいこふん)や国森古墳(くにもりこふん)など、85基もの古墳が確認されています。小学生の頃はよく古墳めぐりをしていて、山が2つあると前方後円墳に違いないと思っていました(笑)。
 田布施町から柳井市にかけて広がる平野のほとんどは、かつて海だったそうです。あまり知られてはいませんが、ここを舞台に、源平合戦で有名な壇ノ浦(だんのうら)の戦いの前哨戦となる周防国合戦(すおうこくかっせん)が繰り広げられました。そのため、平家の落人を祀った神社も数多くあります。子どもの頃、平家の落人を祀った神社の赤い旗を見るたびに、ここまで平家が落ち延びてきたんだなと思っていました。

先祖は大内氏の家臣だった!

地元の歴史に興味を持つようになったことで、自分の先祖についても知りたくなりました。それで小学6年生のときに祖父に聞いてみたところ、大内氏の家臣の中でも位の高い方だったと言われました。ですが、よくよく聞いてみると、どうやら足軽だったみたいです(笑)。大内氏の家臣だった陶晴賢(すえ はるかた)に追いやられて、山口市小鯖(おさば)から田布施町まで逃げてきたようです。私の実家は、田布施町の中でもかなり奥の方にあるので、逃げ延びるにはぴったりの場所だったのではないかと思います。自分のルーツを知ったことで、歴史への興味はさらに増していきました。

県民あるある!?
記憶に残る歴史の授業

山口県の歴史を語る上で、幕末・明治維新は外すことができません。そのためか中学校の歴史の授業では、教科書にも載っていない前原一誠(まえばら いっせい)の萩の乱や奇兵隊の脱退騒動まで、こと細かく学びました。学んだ時間で換算すると、260年くらい明治維新が続いたと錯覚するぐらい(笑)。ペリー来航や吉田松陰(よしだ しょういん)が登場するあたりからは妙に長かった記憶があります。生き生きと語る先生の姿からは、山口県のことを心から誇りに思っている様子が伝わってきました。その分、江戸時代はなんとなく巻き気味というか…。8代将軍の徳川吉宗(とくがわ よしむね)以降はあっさりしたものでした(笑)。

大内氏が築き上げた
「西の京」山口

山口県内の名所を訪れるようになったのは、高校を卒業して芸能界に入ってから。学生時代から親交のある歴史家や恩師に連れられて、大内義隆(おおうち よしたか)が最期を遂げた長門市の大寧寺(たいねいじ)、政治家や文人らに親しまれた山口市の料亭「菜香亭(さいこうてい)」、湯田温泉も何度か訪れて足湯を体験しました。
 山口といえば忘れてならないのが大内氏です。室町時代から戦国時代にかけておよそ200年ものあいだ栄華を極めた大内氏は、山口を本拠に活躍し、朝鮮や明との貿易によって莫大な富を蓄えました。そして、自分たちの先祖を百済(現在の韓国)の第三王子・琳聖太子(りんしょうたいし)だと言っていたとか。かなりスケールの大きい大胆な主張ですよね。また、大内氏は、京の都を手本としたまちづくりを進め、大陸と京の文化を融合させた大内文化を生み出し、「西の京」と称されるほどの華やかなまちを築き上げました。あの足利氏も大内氏の財力や軍事力を頼りにしていたようです。実は、山口市のシンボルともいえる国宝瑠璃光寺五重塔は、応永の乱で足利義満と戦って亡くなった大内義弘(おおうち よしひろ)を弔うために弟の盛見(もりみ/もりはる/もりあきら)が建てた供養塔なのだそう。数々の逸話を残す大内氏の魅力を大河ドラマでしっかりと描いたら、絶対に面白くなると思います。

歴史を動かした
無名人物を辿る旅

山口市の楽しみ方のひとつとして、無名ではあるけれど、維新という花を咲かせるために役目を果たした歴史上の人物のゆかりの地を訪れてみるのも面白いと思います。その時代に想いを馳せながら山口市を歩いてみたいです。
 まずは、福田侠平(ふくだ きょうへい)のお墓に行ってみたいですね。彼は山縣有朋(やまがた ありとも)とともに奇兵隊の軍監を務め、高杉晋作からの信頼も厚かった人物。野球でいうと優秀なヘッドコーチのような人だったのですが、全国的にはあまり知られていません。
 大河ドラマ『花神』で描かれた大村益次郎(おおむら ますじろう)の人生を振り返ってみるのもおすすめです。彼の軍師的な頭の良さ、四境戦争で長州藩を勝利に導いた戦略はかなり衝撃的です。生誕宅跡や大村神社など、彼が生まれ育った鋳銭司(すぜんじ)は隅々までまわってみたいです。
 もう一人、高杉晋作(たかすぎ しんさく)ら若き志士たちを支えた長州藩の重臣・周布政之助(すふ まさのすけ)も気になります。彼は村田清風(むらた せいふう)の後を継ぎ、萩藩の財政を立て直し、実権を握った人物です。彼にゆかりのある周布公園にも行ってみたいです。

東大寺再建を支えた
徳地の巨木

重源(ちょうげん)ゆかりの史跡がたくさん残されている徳地(とくぢ)地区にも行ってみたいです。山口市東部にある徳地は、源平の争いで焼失した奈良・東大寺の再建という国家的な事業をまかされた重源が、その用材を調達するために訪れた場所です。彼は徳地の森から巨木を伐り出し、佐波川(さばがわ)から瀬戸内海を通って大阪・京都経由で東大寺へと運びました。奈良県出身の番組ディレクターと一緒に仕事をしたときは、徳地の木がなかったら東大寺の再建はできなかったことをしっかりとアピールしておきました(笑)。山口市にお住まいの方でもこの史実を知らない方がいると思うので、もっと多くの人に知ってもらいたいですね。

このほかにも、山口市には行ってみたい歴史的スポットがまだまだたくさんあります。みなさんもぜひ足を運んで、ここに生きた先人たちに想いを馳せながら、山口の魅力を体感してください!

関連施設

国宝瑠璃光寺五重塔

京都の醍醐寺、奈良の法隆寺の五重塔と並ぶ日本三名塔の一つ。高さは31.2m。屋根には桧皮葺(ひわだぶき)という日本古来の伝統的手法が用いられている。日没から22時までは幻想的なライトアップが楽しめる。(現在、約70年に一度の令和の大改修中。完成は2025年秋を予定)

画像:施設外観

福田侠平の墓

山口市大内御堀にある奇兵隊の軍監、福田侠平の墓。ここには遺髪が埋められている。遺骨は本人の希望により下関市の東行庵にある高杉晋作の墓の横に埋葬されている。

画像:施設外観

周布公園

長州藩の重臣として藩政に尽くした周布政之助。顕彰碑の周辺は公園として整備されており、一帯は周布町となっている。碑の南側にある墓地には、彼の変名である麻田公輔の墓がある。

画像:施設外観

大村神社

幕末の兵学者、明治維新の隠れた功労者である大村益次郎を祀る神社。もともとは山中にある墓のそばにあったが、1946年に現在の場所へ移された。境内からは長沢池の全景が望める。

画像:施設外観

重源の郷

徳地の豊かな自然や歴史、文化を活かした体験交流公園。郷内にある文化伝承館では、重源の業績や人物像をパネルや映像で紹介。紙漉きや木工、竹細工、そば打ちなども体験できる。(現在、施設リニューアルのため休園中。再開は2024年度を予定)
https://www.chogen.co.jp

画像:施設外観

特別特集

  1. 青山倫子
  2. 松村 邦洋

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